メディアデザイン領域教員、卒業生が参加する展覧会の紹介です。
メディアデザイン領域 泊博雅 教授, グラフィックデザインコース南琢也 准教授, 南研究室卒業 外山央さんが所属するsoftpad, 外山さんが所属するintextが参加する展覧会「phono/graph─ sound,letters,graphics」がgggギャラリー(銀座)にて5月9日より開催されます。
この展覧会(プロジェクト)は3年前大阪のdddギャラリーで展示され, ドルトムント(ドイツ), 名古屋, 京都での展示を経て, 今回の東京で開催されます。
音と文字の関係を考察する展覧会です。
是非ご高覧下さい。
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第333回企画展
phono/graph—sound, letters, graphics
会期|2014年05月09日(金)—05月31日(土), 11:00am−7:00pm(土曜日は6:00pmまで)日曜・祝日休館
もしもエジソンがグーテンベルクより早く生まれていたならば、
書物は音の記録物として流通していたかもしれない。
発明王エジソンは、現れては消えてしまう音を、写真のように記録/保存/再生/複製できる装置を発明した。彼はその装置に「写真(photograph)」に対抗して「蓄音機(phonograph)」と名付けた。1877 年のことである。
そのphonographは、今、photographと同じように扱える時代になった。だからこそ、文字と音は新しい関わりを必要としている。
ヴィリエ・ド・リラダンの小説「未來のイヴ」の中で、主人公の発明家エディソンはこう嘆いている。
「ー歴史を通觀して全く驚き入ること、しかも、不可解でさへあることはー何千年も昔から、夥しい大發明家が
排出したのに、誰一人「蓄音機」を發明しなかったといふことだなあ!」
“蓄音機の父”エディソンがこう嘆くのは、蓄音機があまりにもシンプルな原理だからである。
「鋼鐵の細い針が一本、チョコレートの包み紙が一枚、まあ大體そんなところ、それに銅の圓筒が一つ、これだ
けあれば天と地のあらあゆる聲と響とを貯藏蓄積することが出來るのだ。」
(斎藤 磯雄 訳)
エジソンがグーテンベルクより以前に生まれていたら、私たちの住む社会は大きく違ったものになっていただろう。マクルーハンが言う通り「メディアはわれわれ自身の拡張である」から、活字による視覚情報空間の世界が、レコードによる聴覚情報空間に取って代われば、何よりもわれわれ自身が別の拡張を行っていたのだろう。
もともと、文字は石や粘土に刻まれて記録されていた。蓄音機も、音はレコード盤に「刻まれ」記録されていた。刻まれた文字は見ることができる、そして活字には触ることができる。レコード盤に刻まれた音の溝も見ることができる。そして爪でなぞると微かに音が聞える。
「phono/graph」は、新たな音と文字の関係を考察する展覧会である。」
私たちは今、目で音を聞き、耳で絵を見ている。
このような考え方は既に一世紀前、イタリアの未来派(Futurism)のアーティスト達によって提唱され、実験されているが、100年を経過した今、手軽なオーディオ/ヴィジュアルの道具を手に入れたことによって、自然な形で表現できるようになった。
視覚表現、聴覚表現といったジャンルにこだわること無く、軽やかに、音・文字・グラフィックスに多角的かつ柔軟な視点で取り組むアーティストによる作品がギンザ・グラフィック・ギャラリーの空間に展開される。
もともと声として聴覚空間に存在していた言葉は、文字の発明により、さらに、印刷技術の登場で、視覚空間の存在となっていった。21世紀の今、テクノロジーの変化により、新しい目と耳の空間が必要とされている。作り手も受け手も、目と耳を柔軟に使いこなすことにより、未知の言葉の世界に歩み始めている。
アルファベット時代以前の原始的な人々は、時間と空間を一つに統合し、視覚的空間よりも、むしろ、聴覚的で、水平線のない限界のない、嗅覚的空間に住んでいる。彼らのグラフィックな表現方法はエックス線のようなものである。
M.マクルーハン「メディアはマッサージである」(南博 訳)
(Primitive and pre-alphabet people integrate time and space as one and live in acoustic, horizonless, boundless, olfactory space, rather than in visual space. Their graphic presentation is like an x-ray.)
Marshall McLuhan “The Medium is the massage”